布施弁天のいわれ(縁起)についてお話しします

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布施弁天のいわれ(縁起)

布施弁天のいわれ(縁起)についてお話しします。

赤い龍と天女の御像

大同2年(807年)7月7日、大雷雨とともに赤い龍が現れ手にもった土塊を捧げて島を造り、その時から島の東の山麗から夜な夜な不思議な光が射しました。

ある時、天女が村人の夢に現れて、「我は、但馬の国朝来郡筒江の郷(現 兵庫県朝来郡和田山町)から参った、我を探し祭りなさい」と告げました。

夢から覚めた村人が光をたどっていくとそこに三寸(約9センチメートル)ほどの尊い御像があったので、藁葺きの小祠を建てておまつりしました。

弘法大師による開山

のちに弘法大師空海が関東地域に巡錫のおり、この話を聞き布施に参り「この像は、私が但馬の国で願をかけ、彫刻し奉った弁財天である」と感嘆せられました。

そこで大師は寺を造り、山を紅龍山とよび、この村を天女の利益にあやかり「布施」と名付け、京に帰り親交の深い嵯峨天皇に事の次第を申し上げました。

嵯峨天皇の勅願所に指定

弘仁14年(823年)に入り、その話にいたく感動された嵯峨天皇は田畑を寄付され、堂塔伽藍を建立され勅願所(天皇が天災地変や疫病流行などを祈願せしめられた寺社)に指定しました。

本堂の向拝の回柱に菊の紋章があるのはその為です。

平将門と弁財天

承平年間(931年~938年)平将門の兵火のため焼失されたのちに、この時の討伐軍の武将源が戦跡巡りの際、不思議なことに遇い、弁財天を信仰することになり尊像奉持して、平将門の乱を制し、寺を再興し、本尊弁才天は松の木の上に避難し難を逃れていたので、松光院と名付けた。

現在の本堂が完成

その後も天災や戦乱で興廃を繰り返しますが、かねてから本尊を篤信していた領主 本多豊前守は正徳年間諸大名から寄進をもとめ、享保2年(1717年)に現在の本堂が完成しました。

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